新約幻想郷:序 ~ Selene's light 3

2013.07.28(Sun) | EDIT

(こちらは東方二次創作小説『新約幻想郷』の第三話です。第十回博麗神社例大祭で配布した『新約幻想郷 体験版』より一部抜粋して加筆しております。前回はこちら



 長く麗しい金髪に白いリボンを、白い服に黒いリボンとスカートを添えた、愛くるしい少女が、不似合にも禍々しくて巨大な蝙蝠の翼を背負う。一目で人外とわかるグロテスクさ。だがそのアンバランスさがかえって美しくもある。

「……邪魔よ、小鳥さん」
「それはこっちの台詞だし、私は人間だぜ?」
「イカロスの癖にそんなこと言って大丈夫かしら。落ちても知らないわよ」

 妖怪少女は悠然と両手を胸にかざし、わざとらしく笑む。一方で金色に光る瞳が威圧感を放つ。だが魔理沙も物怖じしない。

「お前が犯人か? 魅魔様をどこにやった?」
「貴方は今までに食べてきたパンの枚数を覚えているの?」
「十三枚。和食派ですわ」
「へぇ……本当に人類?」

 呆れたような、それでいて嬉しそうな、そんな顔をして。黒翼の少女は右人差し指を咥えてみせた。

「関係ないならどきな。私は急いでいるの」
「駄目。私はここの門番、通すわけにはいかないわおチビさん」
「命は大事にした方が良い」

 魔理沙の声は冷たい。侮辱と受け取った相手はそれまでの余裕を崩し、声を荒げる。

「言ってくれるじゃないの! ええ? 下種な人間風情!」
「私は魔理沙だ。それ以上でも以下でもない。お前は?」
「ふん、無骨な……田舎者かしら。まぁいい。我が高貴な名を特別に教えてあげる。刻め」

 気位の高い女王様は、少し勿体ぶってから誇示するように言った。

「……クリミア。クリミア・スカーレット。真祖カーミラが末裔よ」
「くるみ? 間抜けな名前。雑魚キャラっぽい」
「……容赦しなくていいわね、クソ魔法使い。私と出会ったことを存分に後悔しながら虫けらの様に死ね!」

 妖怪は牙を剥く。次の瞬間、魔理沙に息が吹きかかる距離まで肉薄していた。
 普通ならこれで終わり、人生ゲームオーバー。だが魔理沙は普通に魔法使いである。クリミアに噛み付かれる寸前、箒を百八十度回転させ、自らの体を振り落とす。残された箒はそのまま急発進し、クリミアの体を貫き、落下する主人を拾いに行った。

「命を粗末にするから……」

 魔理沙は箒にぶら下がりながら、湖に落ちていく妖怪に憐れみを向ける。しかしその判断はいささか早い。甘い。
 血の池地獄から悪魔は黄泉返る。腹に開いた穴などもう見つからない。嘲り笑う声が木霊する。

「不死身! 不老不死! 命なんて、粗末な物よ」
「ああそうかい」

 吸血鬼。魔理沙の脳裏にその単語が浮かぶ。血の怪物。ノスフェラトゥ。クリミア自身言っていた、カーミラの、あの有名な吸血姫の末裔だと。
 クリミアが手をかざすと、湖から血液が吸い上げられて掌に集まる。直径十メートルくらいはあるだろうか、巨大な球形を作ると、それを魔理沙めがけて投げつける。
 そのままなら回避するのは容易だ。が赤い大玉は途中で破裂し、中から無数の針が全方位に飛び散った。クラスター爆弾の要領である。針は血液中の鉄分から精製したのだろう。
 魔理沙はかわすのを諦め、箒を目の前で高速回転させて盾とする。ただし後ろはがら空きだ。これを逃すクリミアではない。だがまたしても罠が仕掛けられていた。
 魔理沙のスカートがひとりでに捲れると、眩い光が漏れてクリミアを焼いた。ただの光ではない。それは悪魔の苦手とする神の光。太陽の光だった。

「ぐっ、はしたないわよ!」
「純情な乙女を背後から痴漢しようとするなんて、よっぽど下品ではなくて? うふふふふ❤」
「スカンクが! 必ず落としてやるんだからッ!」
「血吸い蝙蝠は不死身じゃないぜ」

 湖から血を吸い上げれば怒りの形相が復元される。吸血鬼のエネルギーは言うまでもなく血である。血がある限りは体を再生できる――裏を返せば干からびた時、死ぬのだ。
 魔理沙は気づいていた。湖の色が少し薄まっていることに。相手にも残機はある。無限ではない。

「今度はこちらの手番だぜ」

 脚に括りつけていたレーザーポインターを手に取り、魔法で日光に変換して撃つ。対する吸血鬼も血から無数のナイフを作り出しては光を遮るように投げ、攻防一体を成していた。
 投擲を避けながら、魔理沙は驚いていた。自分があまりにも冷静でいられることに。実戦は初、模擬戦は二百回全敗だというのにここまで上手く戦えている――自画自賛したくもなる。
 いや、きっとその二百連敗のおかげだ。魔理沙は心の中で自分を鍛え上げてくれた師匠、魅魔に深く感謝した。
 一方その頃にはクリミアも幾分か落ち着きを取り戻していた。相手は思った以上には手強い。何よりも吸血鬼最大の弱点を突く手段を持っている。満月の夜、というアドバンテージが意味を成さない今、距離を取って慎重に対処せざるをえない。
 とは言え負ける気など微塵も感じてはいない。誇り高き吸血鬼がたかが人間一人に負けるはずがないのだ。いや、負けてはならない。
 絶対に負けられないのは魔理沙とて同じである。こんなところで足止めを食っていられない。銀の嵐をかいくぐり、確実に敵を仕留めるべく網を張る。

「そこ、何をばら撒いてる!」

 クリミアは気づく。だが一手遅れた。

「……オーレリーズソーラーシステム」

 飛び回る最中、魔理沙は小さな水晶玉をこっそり撒いていた。例のごとく古道具屋からかっぱらったものである。それがポンッという音がして一斉にハンドボールくらいの大きさまで膨張する。
 クリミアを囲うそれらはまるで夜空に浮かぶ星々、彼女を中心とする銀河系。だがその全ては魔理沙という太陽の光を反射する月でしかなかった。
 無慈悲な声が処刑を告げる。

「照射」

 光は水晶玉を通して屈折し、また別の玉に当たって向きを変える。途中でクリミアの身体を貫くように。何度も。何度も。

「ぐああぁぁあぁあぁああぁあああぁぁああああ」

 再生する間も反撃する間も与えず、残酷な光が闇を細切れにする。それでもクリミアはもがくが逃れられず、余計苦しむばかりである。

「あづいあづいああああづあづいよぉぉおおぉ」
「熱い熱いよぉぅ、やめてお願いやめてお父さ」

 幼い少女の泣き叫ぶ声。幻聴。聞こえてはいけないはずの声。聞きたくない声。思い出したくない記憶。魔理沙は思わず耳ではなく頭を塞ぐ。すっかり血の気が引いていた。

「……降参して、お前の知っている情報を洗いざらい喋ってもらう。そうすれば今すぐ止めても……」

 突然の頭痛に顔を歪ませながら、魔理沙は言った。止めたいのは彼女の方だ。
 だがクリミアは拒否する。断固として。

「ノン……死ん……が、マ……」

 ボロボロに焼け爛れた顔は笑みを作り出した。妖怪はそれこそが最大の反撃と知っていたのだ。魔理沙はここにきて初めて怯む。
 退魔師の中には人間は肉体的には弱いが精神的に強く、妖怪はその逆だという者がいる。だが果たしてそうか? 魔理沙の師はこう言った。妖怪は人間の心の弱さ、恐れが生み出した怪物。その精神的タフさは人間と比べ物にならないと。
 そうして一瞬の怯えが付け入る隙を与えてしまった。目を盗んだ間にクリミアは自ら心臓を抉り、湖に投げ落とす。

「なっ! しまった!」

 もう遅い。血だまりは急速沸騰し、全て気化する。そして赤い霧は圧縮され、肉となる。
 再生を阻止すべく水晶玉を一斉に向かわせ、太陽光を照射する魔理沙。だが薄い鉄の膜が再生中の体を覆い、光を反射する。さながら蛹の繭のように。さらに膜は突起を伸ばし、周りの水晶玉を全て正確に刺し砕いた。

「ならば抉じ開ける!」

 太陽光をレーザーに切り替え、鋼鉄の繭に一点穴を開ける。再び太陽光で焼こうとしたその時、逆に穴から狙撃された。レーザーポインターは当然粉砕、持ち手にもぽっかり穴が開く。因果応報。

「痛ッ……まずッ!」

 反撃はこれで終わらない。二発目は箒を、三発目は左足を掠めた。魔理沙の顔が歪む。痛みも勿論だが、あっさり優勢を覆されたことの精神的ダメージの方が大きかった。
 殻は剥がれ蝶が孵化する。巨大な翼を見せつけるように広げ、吸血鬼クリミアは今、完全復活を果たした。

「……プライドさえあれば、何度だって甦る。誰とだって戦える。それがどんなに安っぽいプライドであっても……吸血鬼ってのはねぇ、そういう生き物なのよ魔理沙」
「やるじゃないか、くるみの癖に」
「それはこちらの台詞、よ。いいわ、貴方を私の好敵手に認めよう。敬意を表し、我が必殺の技を宣言する。喰らえ、空裂眼刺驚【スペースリパー・スティンギーアイズ】!」

 クリミアの両目から先程の弾丸が撃ち出される。ビームではなく、ハイドロカノン。その正体は超高圧高速で発射される液体のようだった。
 咄嗟に海老反りでかわす魔理沙。再び体を起こした時にはすぐ近くまで金色の瞳が迫っていた。延びる腕が彼女の肩を捉える。
 前回の反省からまずクリミアは爪を立てて、相手をガッチリ固定した。魔理沙の傷口から流れる血を嘗めては恍惚の表情を浮かべる。
 至近距離では空裂眼刺驚をかわすことなど不可能。絶体絶命――かと思われた時、魔理沙は自分から顔を近づけ、頭突きを食らわせる。貫かれたのは宙を舞う黒い帽子のみ。不意を突かれ驚く相手を引き剥がし、瞬時に離脱する。
 箒の後ろにはいつの間にやらロケットエンジンが備えつけられていた。アフターバーナーを噴かし、猛スピードで逃げ回る。クリミアもすぐに追いかけながら、空裂眼刺驚を連射する。
 魔理沙も逃げ足には自信があったが、吸血鬼を振り切れるほどではない。負傷した手や足の痛みに耐えるだけでも精一杯。だが勝算は十分あった。
 第二諏訪湖は再び枯渇して地面を露出している。クリミアも血を使った攻撃をしてこない。つまりもうさっきのように体を再生することはないと考えられる。ならば一発、一発決めれば倒せるはずだ。
 プランク並みの頭脳は様々な策を提案する。その中から魔理沙は一番シンプルで、馬鹿馬鹿しいのに決めた。最後くらいは自分好みのやり方で。
 そう決心すると、急に名残惜しさを感じ、戸惑う。何故だろう? ようやくこの戦いに決着を付けられるのに。何故そう思えば寂しくなるのか。
 魔理沙はふと自分を追いかけるクリミアを見た。その表情は必死そのもののはず、なのにどこか嬉しそうで、楽しそうで――魔理沙を鏡に映していた。
 ああ、なんだ、簡単な話じゃないか。

「遊び足りないな、くるみ!」
「気でも狂ったの!」
「とっくに!」

 この一夜の闘争に一筋の享楽を見出している自分がいたのだ。

「でも、行かなくちゃ。魅魔様を待たせてる」

 旋回し、魔理沙は真っ向からクリミアの元へと向かう。その先を見据えて。
 あまりに無謀な特攻に一瞬呆気を取られるも、すぐにクリミアは迎え撃つ構えを取る。それでも魔理沙は止まらない。

「お馬鹿さん!」

 空裂眼刺驚を放つ。瞬間、魔理沙は潜った。代わりに遠くそびえ立つ御柱に穴が開く。やはり怖くなって逃げたか、だが今度こそ終わりだ、とクリミアは振り返ると――
 眼前に成形炸薬弾。

「マジカルパンツァーファウスト。弾幕はパワーだぜ」

 夜空に盛大な花火が打ち上がる。クリミアの下方を通り抜けた時、箒は対戦車擲弾発射器に変身していた。
 一瞬の隙を突き、一撃必殺。これぞ魔理沙という魔法使いの、最も「らしい」戦法であった。



「トドメを刺したらどうなのよ」

 魔理沙に抱かれた異形の少女が不満を溢す。クリミアに残された魔力では、頭部を再生するのが限界であった。耳から小さな翼が生えているのは、そうして魔理沙に飛びかかり吸血を試みるも失敗に終わった名残である。頼みの空裂眼刺驚も頭を反対向きに固定されては当てられない。

「殺しなさい! 情けをかけられて、誇りを失ってまで生きたくはないの」
「嫌。絶対殺してたまるもんか、勿体無い。それに失った誇りは取り戻せばいいだろ?」
「貴方……本気で、いや正気なの?」

 とびきりの笑顔が答えになっていた。ようするに魔理沙はもう一度クリミアと戦いたくなったのだ。だから、殺さない。

「別に、訊きたいこともあるし」

 それもまた理由の一つ。

「もう一度言うけど、お前が犯人か? 村の人を連れ去ったり、魅魔様を……」
「私はただ摘まみ食いしてただけ。魅魔なんてやつも知らない。まぁ……おおよそ居場所には見当がつくけど」
「どこだ、教えろ!」

 唾がかかってクリミアは苦虫を潰したような顔をする。

「……教えられないか?」
「夢幻館。この湖の真下にある。で、私は館の鍵」
「夢幻、館……地下にあるのか? どうやって行くのさ?」

 瓦礫の山を見渡して、魔理沙は首を傾げる。仮に地下街への入口等あったとしても潰れているに決まっていた。
 冷ややかな目をしてクリミアは皮肉った。

「心配無用よ、普通鍵を壊せば家の中に入れるじゃない」
「鍵を、壊す?」
「ええ」

 とどのつまり、自分を殺せば夢幻館への道が開ける、そうクリミアは言いたかったのだ。意図を理解した魔理沙は、即座に首を横に振った。

「窓を壊しても入れるぜ」

 冗談には聞こえなかったものだから、クリミアは大笑いする。魔理沙は気恥ずかしくなり、紅潮する顔を背けた。

「笑うなよ」
「あっはははは、ごめんごめん、あまりにも面白おかしい返しで……待てよ、窓を壊す……あっ!」
「どうした?」
「思い出した。力づくで夢幻世界に突入した馬鹿がいたわ。この私を無視しやがって……」

 魔理沙はハッと目を見開く。もしかしてと質問を投げた。

「何時のこと? 誰だ!」
「また唾をかける……ええと、確か三年前だったかしら。誰って言われても知らないとしか……」
「三年前? 三年前だって! 外見の特徴とかはわからないか?」
「青白? 色は。遠目で一瞬だったしなぁ……でも多分女」
「そう……そう! ありがとうくるみ!」

 間違いない、魅魔様だ。魔理沙は確信を得てすっかり舞い上がってしまった。魅魔様が! 魅魔様も!
 それが吸血鬼には眩しく辛く感じられる。

「……それで、窓を壊して行くの? 多分それ、よほどの術者じゃないと無理よ」

 でなければ私のいる意味がないじゃないか。クリミアは悔しく思っていた。しかし冷静に考えてみれば存在を否定されるのを厭い殺されることを望むのも変である。

「魅魔様がやったんだ。じゃあ私もやらなくちゃ。できなくちゃな」

 魔理沙はもう歩き出していた。クリミアの首を抱えたまま。吸血鬼にはよくわからない。この人間の行動がよくわからない。わからなくて戸惑う。

「どうして?」

 わからない。

「そいつを見つけるのが一番の目的なんでしょ? なら何故手段にこだわる? 非合理なんじゃないの?」

 そこまでこの人間に固執する自分がわからなくて、クリミアは困惑していた。
 同じだよ、と魔理沙は言う。

「お前がプライドにこだわるのと。私が家族に、は」
「だったら」
「あっ……そうか」

 勝手に納得して頷く魔理沙。

「くるみも家族にしたいんだ」
「は? へ?」

 予想の斜め上どころか直角の回答、いや回答にもなっていない発言にクリミアは口をあんぐりと空ける。

「私の家族にならないか」

 追い打ちをかけられる。しばらくして、ようやくクリミアはノーと意思を示すことができた。

「なんで?」
「なんで? ってこっちの台詞よ」
「嫌なの? ああ、カーミラの末裔って言ってたな。すでに家族いるのか」
「吸血鬼には家族なんていないしいらないのよ。カーミラの末裔云々も……ちょっとイイカッコしたかったから、と言うかその……」
「でも吸血鬼なら誰かの血を分けて成ったんだろう?」
「お嬢様は死んだわ」

 抑揚のない、低い声だった。魔理沙はすかさず謝る。それがまたクリミアにはよく理解できない。

「そもそも家族にしたいって何よ。そうやって貴方は私にどうしてほしいわけ?」
「また遊んだり……とか」
「それは、多分、家族じゃなくて友達では?」
「友達?」

 クリミアは呆れ顔で言う。

「そう。貴方友達が欲しいのよ。私はごめんだけど」
「友達が、欲しい?」

 正直なところ魔理沙にもわかっていなかったのだ。自分がまたクリミアと戦いたい、遊びたいと思う感情の正体。その解を今得た。

「そうだぜ。私はくるみと友達になりたい」
「だから私はごめんだって! それとくるみって訛った呼び方やめなさい! クリミアよ!」

 ムキになって拒むクリミアだが、内心まんざらでもなかった。ここまで人間に興味を持つなんて、もしかしたら友達にでもなりたいのかもしれない――けれどそれを認めてしまうのは己のちっぽけなプライドが許さない、ただそれだけのことであった。
 魔理沙は笑う。始めは渋い顔をしていたクリミアも次第に角が取れ、柔和な表情に変わり――微笑んだ時。
 空間が裂け、中から飛び出した一発の弾丸が笑顔を消し去った。
 落ちたのは、紅白の玉だけ。残骸が飛び散ることもなく、クリミアは完全消滅。魔理沙は返り血を浴びることもない。完全否定。それのなんと残酷なことか。
 空間の裂け目から、今度は紅白の人間が出てくる。ブロンドの髪をなびかせて。そいつは魔理沙もよく知っている人物だった。

「れ、い、む……」
「こんばんは魔理沙」

 靈夢。博麗の巫女。そして、魔理沙の家族。
 けれど再会を喜ぶよりも先に怒りが沸き起こった。

「なんでだ……なんでだよ! なんで殺した!」
「なんで? 妖怪を退治しない巫女なんていないのよ?」

 靈夢は首を傾ける。

「なんで怒るの? 魔理沙のこと助けてあげたのに」

 正論だとは魔理沙にもわかる。けれどそれは余計なお節介だと言いたくなる。何よりも、人生初めての「友達」を奪われたのが許せなかったのだ。

「殺すことはなかったろ!」
「殺さない理由がないじゃない。夢幻館ってとこに行けるんでしょ」
「靈夢には関係ないことだ! 私には私の……」
「そうして私を排除する? 理香子を排除したように? じゃあなんで妖怪だけは排除しないの? ねぇなんで?」
「そんな、いや理香姉をそんなつもりは……」

 動揺する魔理沙。対する靈夢は冷酷無比――というよりは何の感情も抱かない、そんな態度だった。
 本当に靈夢なのか、と魔理沙は目の前の少女に疑いを抱く。姿形は紛れもなくあの靈夢、他の誰でもない。だがいつものコロコロ変わる表情が固まっている。その瞳には何も映していない。
 まるで出会った頃のあの、人形のような――そう考えればやはり靈夢に違いないのだが、少なくとも魔理沙の妹の靈夢、ではなかった。

「ほら、手間が省けた」

 地響きが鳴る。靈夢が指差した先で、地面の陥没が始まっていた。おそらく夢幻館へと通づる扉、それが開く。

「私は六十年前からの博麗の宿願、幻想郷の奪還を果たさなければならない」

 コイツは何を言っているんだろう。魔理沙は怒りを通り越して困惑していた。そんな言葉、靈夢が言うものか。まるでゲームのキャラがプレイヤーに操作されて喋らされているみたいだな、という感想さえ抱く。
 一際大きな地鳴りがした。底が抜ける、というような表現が適切だろうか、その音と共に第二諏訪湖は丸々空洞と化した。
 地面が無くなって二人は落下する。魔理沙は慌てて箒に跨り浮遊するが、靈夢はそのまま落ちていく。彼女は飛べなかった。

「靈夢!」

 魔理沙は急速降下して靈夢の手を拾い上げる。だが靈夢は、その時ほんの少し怒ったような、それでいて悲しそうな、表情を浮かべて――魔理沙の手を振りほどいた。

「さようなら魔理沙。あんただけでも帰って」

 靈夢がお祓い棒を上へ向かって突き出すと、透明な壁が広がって、新たな湖底となった。博麗の巫女得意の結界術である。

「靈夢? うわっ!」

 結界にぶつかって、魔理沙は箒から転げ倒れる。隔たれた向こう側では靈夢がなお落下を続けていた。

「靈夢の馬鹿野郎ぉぉおおぉおぉぉおおおおぉぉおぉ!」

 叫び声は、空しく反響するだけであった。



 理香子は夢を見ていた。
 幼い自分。そこには父も母もいる。現実では決して見せなかった慈愛の眼差しを向けて。心地良い。けれど理香子はそこから逃げ出した。自分の求める相手がいなかったから。
 少女期の自分。目の前には育ての親がいる。現実から消されてしまったはずの恩人。けれど理香子はそこから逃げ出した。自分の欲する相手がいなかったから。
 大人になった自分。大勢の人に囲まれている。いけすかない上司やいい加減な同僚、困った部下。現実では色々思うことのある人間が集まっているが、皆一様に手を叩いて祝福してくれている。けれど理香子はそこから逃げ出した。
自分の愛する相手がいなかったから。
 魔理沙がいなかったから。
 理香子は走る。走り続ける。探し続ける。けれど見つからない。やがて彼女は辿り着くだろう、一番大切な人が失われた現実の朝に。



 ラベンダーの香りが抜ける。
 市松模様のタイルが敷き詰められた部屋で、少女は目を覚ました。するとゴーンと鐘の音が鳴り響くと共に、それまで重なっていた時計の針が離れ始めた。
 ゆっくり体を起こすと、壁にかかっている肖像画と目が合った。白黒のドレスに、麗しい金髪の少女。にっこりと微笑む口元から牙を覗かせる。

「さようなら胡桃。貴方におはようを言いたかったわ」

 少女は代わりに肖像画に向かって挨拶する。次に反対側、窓の方を見ると、そこで何かに気付いてハッとした。途端喜びが彼女の内で沸き起こる。

「王子様は一人……いや二人も! 嬉しい。楽しめそうねエリー」

 ネグリジェを崩して頬ずりする少女の姿は、妖艶な美しさを讃えていた。まるで彼岸花のよう。だがその根には毒がある。
 突然窓が開き、風が吹いた。深緑の髪がふわりと跳ねる。拘束する布を除けて今、少女は二本の足で立ち、

「えぇわかってるわ。それでは咲かせましょう――幻想郷の花を」

 両手を広げた。



【次回予告】

夢幻館。それは湖の向こう側に浮かぶ幻想の城。
靈夢を追う魔理沙は門前の死神を倒し、館内に足を踏み入れる。それが新たな惨劇の幕開けとなった。
次回 「新約幻想郷:破 ~ Perdition crisis 1」 この次も、サービスサービス!
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新約幻想郷:序 ~ Selene's light 2

2013.07.21(Sun) | EDIT

(こちらは東方二次創作小説『新約幻想郷』の第二話です。第十回博麗神社例大祭で配布した『新約幻想郷 体験版』より一部抜粋して加筆しております。前回はこちら



「はい、筑波土産の合成食品」

 居間。テーブルを挟んで二人。理香子はニコニコしながら大量の缶を並べる。それを横目に見る魔理沙は苦笑い。いつものことだった。

「私は普通の食べ物が良いぜ。ケーキとか」
「子供ね」
「悪い?」
「悪い。そうやってお姉さんの好意を拒むから。言っておくけどこれ、関東じゃ筑波以外には新東京でしか売ってないのよ?」

 理香子の勤務地、筑波は技術開発の盛んな科学都市であった。戦時の被害も少なく、準メトロポリスと称されるほどに発展を続けている。工場や軍事施設などは新東京ではなくこちらに集中していた。
 そこで彼女が何をしているかというと、最新兵器を開発していたりする。戦略自衛隊技術研究所、通称「戦自研」。それが職場の名前だった。

「いつになったらここも都市開発されるんだか。相も変わらず何もなくて嫌になるな」
「……都会は好きじゃない」
「住めば都よ、都に住めば。さてご飯ご飯」

 片方は嬉しそうに、片方は嫌そうに、缶を一つ選んで開ける。

「もう一つ土産があるけど、後で渡す」
「どうせ戦車の部品とかなんでしょ」
「ふふっ、もっと良い物よ。だから……」

 束の間、空気が一変する。

「いい加減泥棒稼業からは足を洗え」

 もう理香子の笑みは消えていた。代わりに刀のように鋭い眼差しがそこにある。睨まれた蛙は思わず視線を逸らす。

「ど、泥棒はしてないぜ」
「また霖之助さんには代金を払っておいたから」
「香霖とはちゃんと物々交換……」
「ハァ。アンタの拾ったゴミなんかと商品、釣り合いが取れるわけないでしょ。まぁアンタに甘すぎるあの人も問題なんだが」

 霖之助とはこの村で骨董屋を営んでいるらしい変人である。らしい、とは本人にまるで商売する気がないからだ。どうやって生計を立てているか、そもそも普段何をしているかさえ不明だ。
 顔つきは若々しくせいぜい二十代後半くらいだが髪は真っ白で老人のような風貌が胡散臭さに拍車をかけている。村人たちも気味悪がって彼に近づこうとしない。
 一応魔理沙と同じく第二新東京市からの流れ者だということはわかっている。類は友を呼ぶのか、魔理沙は彼の店に度々出入りしていた。彼に興味があるというよりは、彼の収集した珍品に。
 気が付けば商品が一つ、また一つくず鉄などに置き換わっている。霖之助は魔理沙の仕業だとはわかっていながら何故か黙認していた。小児性愛者と噂されるほど甘い。

「霖之助さんが許しても私は許すわけにはいかないぞ。これでもアンタの保護者なんだからね!」

 と言いつつも理香子はそれで話を終わりにしてしまい、缶の中の合成食品に箸を付けた。

「ん、甘いな」
「せっかく帰ってきたのに天然物食べなくていいの?」

 魔理沙が渋い顔して訊く。

「天然物なんて珍しいだけでそんな美味しい物じゃない。今じゃこっちの方が上だ」

 現代人らしい回答だった。もっともそのまま合成食品の素晴らしさを長々と語り始める辺り、理香子の科学への傾倒は度を越しているが。

「……というわけでな、二十世紀即席麺の発明を境に世界は大きな変革を」
「もういいわかった、わかってるよ理香姉」

 うんざりした様子で止めに入る。

「ああそうだな。こんな話をしに貴重な休暇を使ったわけじゃないし。御馳走様。さて魔理沙、本題に入るが……」

 理香子はメガネを外して魔理沙に被せる。すると魔理沙の視界に大きな封筒が一つ現れた。実際にそこにあるわけではない。メガネ型のコンピューター、所謂「電脳メガネ」内のデータファイルが可視化されているに過ぎない。魔理沙はそれを掴んで中身を取り出す(データファイルを開く)と、モニターにテキストが浮かび上がった。

「京都大学……入学案内?」
「京大の編入手続きよ。認証さえすれば明日からでも通える」

 驚いてメガネを外し、理香子を見る魔理沙。

「信じられない」
「本物よ。それだけ私が本気ってこと」

 理香子はメガネをかけ直しながら言った。

「魔理沙、アンタは大学行き直した方が良い。新東京が嫌なのはわかってる。じゃあ京都ならどうなのよ。京大には憧れの北白河教授もいるんでしょ?」
「それはそうだけど……ありえないぜ」

 かの東京大学が都諸共海に沈んだ今、京都大学が日本で一番の難関大学であるのは子供でも知っている。魔理沙が訝しむのも無理はない。いくら戦自研には特権があって、方々にコネを持っているとはいえ、こんな裏口入学を可能にするものかと。
 ウマイ話には裏があってしかるべき。

「……条件があるんじゃないの?」
「その通り。一つだけ。卒業したら月へ行く」
「なんじゃそりゃ」
「後五年か、アンタが私の年くらいになる頃には御柱が完成するでしょ。そうしたら研究員として宇宙に派遣される。ひとまずNASAの月基地配属だそうよ。一般人より先に月世界旅行ができると思えば悪くないとは思わない?」

 話が壮大すぎて、口をあんぐりと空ける魔理沙。一方科学信者の理香子は羨ましいくらいだとニヤけてみせる。

「宇宙開拓。夢があるじゃない。私がこの話を受けたいくらいさ。大気圏外用の巨大ロボット作ってみたいからね。ガンダムみたいなの」
「すでにあるじゃないか。似たようなの。地上にも」

 二十二世紀はロボットの世紀とも言われる。それほどまでに一般社会で身近な存在になっていた。戦争がロボット技術を大きく進歩させたのである。代償に多くの人命が失われたわけだが、おかげ様で現在は益のみを享受できているということだ。
 勿論軍事兵器としてもいまだ現役だし発展途上にあるくらいだ。ただし戦闘用にしろ輸送用にしろ四足の物が主であるが。理由は簡単、その方が合理的だからだ。

「それでもやっぱり、二足歩行に浪漫を抱かずにはいられないかな。人は幻想を追い求める生き物なんだから」

 なら魔法で作ればいいじゃないか。そう思っても魔理沙は口にしなかった。理香子の魔法嫌いが筋金入りであることは知っている。わざわざ地雷を踏みに行くほど愚かではなかった。少なくとも冷静さを保っていられる間は。
 しばし魔理沙が黙っていると、理香子は相手の心配を取り除こうと話を戻した。

「別に永遠に月に飛ばされるわけじゃないんだ。帰ってきて他の就職口を探したっていい。そんなに身構えることなんてない……ああ、大学生活が心配? 十一でストレートに卒業する方が稀だし同年代の子も珍しくないさ。下宿先なら宇佐見の叔母さんにお願いしてる」
「宇佐見、さん?」

 魔理沙の目の色が変わる。宇佐見、とは彼女の体を生んだらしい人物の姓だった。

「実は今回の話も宇佐見……教授が融通を利かしてくれてね」

 理香子は知っていた。魔理沙が実の親戚を快くは思っていないことを。だから教授と肩書で言い直す。
 だがこうも思っていた。魔理沙に必要なのは血を分けた家族の方じゃないかと。

「教授もアンタのことはずっと気にかけていたらしくてな、協力は惜しまないとのことだ」

 実際には魔理沙を養子にしたい、とまで言われていた。がそれを伝えて素直に受け入れる性格ではないのは明らかだし、理香子としても少し面白くなかったのでそこは伏せた。
 妹の幸せを願うのは、妹への執着の表れだ。京都へ行くのが妹の為、けれど宇佐見家の一員となり自分から離れていくのは許容しがたい自分がいる。そんな我欲に囚われていることを理香子は自嘲さえしない。
 魔理沙はああそう、と軽く頷いてまたしばらく黙った。込み上げんとする感情を押し殺して。それから口を開く。

「……風呂に入って、少し考えてみる」
「まぁいきなり過ぎたか。うん。良い返事を期待してるよ」

 本当は答えなど決まっていた。そしてそれを今告げようものなら熱くなってしまうことが目に見えていた。だから魔理沙はワンクッション置くことにした。
 そう、選択肢など一つしかない。少なくともこの時は、一つにしか考えられなかった。
 悲壮な決意を悟られまいと、少女はぎこちなく背を向ける。去り際、耐えられず言葉が漏れた。

「靈夢には?」
「何?」
「靈夢には、この話、ないの?」
「あの子には関係ないことよ」

 理香子の返答は短く、鋭かった。それで魔理沙は後戻りできなくなった。



 この古い家には抜け道などいくらでもある。例えば魅魔が使っていた部屋の隠し扉がそうだ。本来ただの壁だったのだが、こっそり扉を付けて魔法で見えなくしていた。主に悪戯用に。
 当然仕掛けた本人しか通れぬよう制限をかけられていたが、魔理沙はこの三年の間に自力で開錠法を見つけていた。それを滅多に帰宅しない理香子が知るはずもない。

「これとこれ……あとこれだな」

 風呂上りに魔理沙はガラクタを漁っては纏う。この積み上げられた宝の山は彼女の悪癖が成せる業だった。

「これも一応持って行くか」

 と件の妖怪バトンも懐に仕舞う。準備は万端。姉が居間でくつろいでいるのは確認済み。さぁ行こう。扉を開いて。
 日は落ちて外はもう暗闇に飲まれている。黒い世界。黒い少女。目立つ炎髪も今は唾の大きい帽子に覆われてすっかり消えている。
 ただ月だけは眼前に輝いている。その幽かだが力強い光は、もう一人の役者を舞台の上に照らし出していた。

「理香姉……何で……?」
「何でもないだろう。アンタの行動などお見通しなんだよ。昔っからわかりやすすぎる」

 理香子は深く溜息を吐いて言った。

「答えは、ノーということね」
「……ごめん」
「私はアンタのためを思っている。こんなところにいつまでもいていいとは思えない。行くな。行くなら京都へ行け」
「私は、ここを離れたくない」
「離れろ」
「嫌だ」
「大人になれ、魔理沙」
「嫌だ。少女のままでいい」

 お互い一歩も引かない。魔理沙はあれだけ自分を落ち着かせようとしていたにも関わらず、熱くなり始めていた。

「私の幸せはここで皆と暮らすことしかないんだ。理香姉もわかるだろ? わかってくれるでしょ!」
「わかってないのはそっちの方よ。時間は不可逆なんだ。魅魔様はもう帰ってこない」

 魔理沙の瞳孔が開く。吠える。

「嘘だ! 理香姉だって気づいてるはず。いや理香姉の方が感じられるはず。魅魔様の魔力がこんなにも充満してるって!」
「……私はもう魔法だの妖怪だのと関わりたくないの。アンタもいい加減卒業しなさい。じゃないと駄目になる。駄目になるんだ」
「逆! 魔法がないと駄目なんだ! 魅魔様との絆なんだ……理香姉はどうしてそんなに魔法を嫌う! そんなに怖いか? ええ!」

 言ってはいけないことを言っている自覚はあった。けれど今の魔理沙には自分の口を押さえることができない。
 理香子には魔理沙以上に魔法の才能があった。天性の物と言っていい。だがそれが悲劇を生んだ。彼女の両親は自分達の娘を化物と恐れ、虐げた。そして彼女の強すぎる力は、軽く抵抗したつもりでも相手の命を奪うに十分すぎた。彼女はそんな自分を恐れた。魔法を恐れた。
 そして何よりも、家族の喪失を恐れていた。魔理沙と同じか、それ以上に。

「よく聞け魔理沙。魔法は人を不幸にするだけなんだ。魅魔様だってそうだった。だからアンタだけは、失うわけにはいかない」
「私のことは放っとけよ! それより靈夢を……靈夢はどうなんだよ!」

 魔理沙にも理香子が自分のことを思っていてくれていることはわかる。けれど靈夢に対してはそうでもない、そう感じられるからこそ一層苛立ちを隠せずにいた。
 一瞬言葉を躊躇った理香子だが意を決して言う。

「靈夢はもう手遅れよ」

 その時激情がついに噴火した。魔理沙の拾い投げつけた石が理香子の顔面に命中、メガネを弾き飛ばす。

「理ぃ香ぁぁ姉ぇえぇぇぇ!」
「わかんでしょう! あの時と同じなのよぉ! あの子も博麗の血に呪われてる、だから行ってしまった!」

 レンズの破片が刺さって瞼から血を流そうと、理香子は気に留めない。引かない。ただその肩ばかりは震えていた。

「今魔理沙まで……行かないで、ねぇ」

 懇願する姉の姿に血が上っている魔理沙も流石に動揺する。だが止まらない。止まるわけにはいかない。

「行くよ」
「行かせるもんか」

 足を踏み出した魔理沙を止めようと理香子は銃を向ける。戦自は正規の軍隊ではなく彼女も戦闘員ではないが、銃の携行は許されていた。それを向ける、ということはそれだけ本気だということ。

「小さくても必殺の武器よ。どうしても止まらないのなら、無理やり足を止める。言っておくけど死ぬほど痛いよ?」

 だが歩みは止まらない。銃を構える手が震える。魔理沙もまた腕を構えて時計に手を掛け――そして撃った。
 早かったのは魔理沙の方だった。理香子はその場で膝を着く。

「腕時……仕込ん……」
「麻酔銃。香霖お墨付き、小さくとも熊をイチコロのヤツだぜ。ごめん姉さん。本当にごめん」

 倒れる理香子の傍を通り抜けて、魔理沙は行く。

「おやすみ」
「おはよ……を……なさ……」

 それが二人の交わした最後の言葉になった。
 月が雲に隠れ、舞台は閉じられる。全て黒になる。
 その矢先、暗闇に一筋の光が走った。主を乗せた機械仕掛けの馬は、今大地を蹴り飛ばす。



《はい、それでは今週の秘封倶楽部始めるぞ。毎度おなじみパーソナリティの北白河ちゆりだぜ。はい乙ありー》

 静かなはずの夜を掻き乱すバイクの騒音。風を切る音、エンジンの鳴る音、そして備え付けの小型パソコンから聞こえてくるネットラジオの音。

《珍しく初見さんもいるようだし説明しておくぜ。この配信では私が世界の秘密を解き明かしていく模様を中継している。で今回はデンデラ野に来ているわけだが……》

 オカルト界隈においてはその名を知らぬ者などいない魔力研究の第一人者、北白河教授の秘封倶楽部。視聴者数平均二桁を叩きだす不人気番組である。その分視聴者層は熱狂的な信者で占められているのだが。
 その一人に魔理沙もいた。特徴的な口調を日常的に真似ているほどである。秘封倶楽部を聞き逃すなんてありえない。こんな時であっても、いやこんな時だからこそだ。

《捨てられた老人たちは生きながらにして死に、死にながらにして生きていたんだな》
「死んでるみたいに生きたくはない、私は」
《そんなわけでここは人工的に作られた生と死の境界の向こう側、浮世でも彼岸でも無い。魔力で成り立っている異世界と私は考えているぜ》
「向こう側に、きっといる」

 ハンドルを握る手に力が入る。車体はどんどん加速していった。遮るものはもうない。
 寂れたショッピングモールを、電車の来ない駅を、ぐんぐん抜き去っていく。さながら巨大な墓標である。戦争がなければ今頃この村も活気のある都市になっていたかもしれない。
 いや厳密にはそうじゃないな、と魔理沙は思いつきを否定する。第三次世界大戦など生まれるずっと前のことだ。あれから半世紀もこの村が停滞しているらしいのは、結局のところ見捨てられたせいだと。京都や新東京といったメトロポリス以外は、いわばデンデラ野というわけだ。
 それが日本の戦後復興の正体、と霖之助あたりが言っていた気がする。ぽつんと街中にひっそり建つ彼の店を通り過ぎて、魔理沙はそんなことを思い出す。店に明かりは灯っていなかった。彼女の胸が少しざわつく。
 どのみち今は神隠し騒ぎのせいで、歩行者も車両もほとんど見当たらない。代わりにふらふらと漂う人魂、お化けの類と何度もすれ違った。目的地に近づくほどそれが目立つようになる。魔理沙は直感していた。
 彼らこそ失踪者の成れの果て、だと。
 怖い。魔理沙の歯がガタガタ鳴る。たんに幽霊が怖いというわけではない。愛する人がすでに生きてはいないかもしれない、のが怖い。

「恐れるな恐れるな恐れるな……」

 魔理沙は自分を叱咤する。魅魔や靈夢がそう簡単にやられるものか。それに妖怪は人間の恐怖を糧にする。これでは奴らの思う壺ではないか。この状況を作り出していると思しき奴らの。
 今この村は半分幻想に沈んでいると言っていい。悪い方向に想像を働かせば、それが実現してしまいそうな気配だ。だがこれは魔理沙にとってチャンスでもある。

《魔力とは統一原理に当てはまらない力。その源は我々の想像力に他ならない。今は何でも科学で説明出来てしまうからそんなもの無いと言ってしまえるがな。実際にそうした否定の想像によって生じる摩擦が魔力を打ち消してしまう。だが……》

 幻想を肯定する地では魔力は数多の可能性を持つ。魔法使いの想像力を燃料に。

《あぁ、今なら飛べそうだ》
「飛べ、トルネイダー」

 深紅のバイクがそのままの速度を保ちながら離陸する。それだけじゃない。車輪が折りたたまれて収納され、車体の前後がスライドして横一直線を作る。ボディ自体縮小されていく。最終的には一本の箒のような姿になった。
 バイク自体にそんな変形機構が搭載されてはいない。そもそも明らかに物理法則を無視している。そんな荒唐無稽な変形、いや変身をやってのけるのが魔法使いなのだ。
 箒に跨り空を飛ぶ、これぞ由緒正しい魔女のスタイルである。

《……まぁ誰でも魔法が使えるわけじゃないぜ》

 もっとも魔法が使えたとして万能ではない。魔力も無限ではない。未熟な魔理沙にはせいぜい浮遊する、道具を別の物に変化させる、くらいが限界だ。
 ああ、魔法で魅魔様を呼び寄せられたらいいのに。

《だからこうして地を這い探しているんだが》
「魅魔様、どこだ……靈夢、声を聞かせてよ」

 魔理沙は地面を見下して探し回る。古ぼけた街並みを抜けて湖畔へ、景色は移り変わっていった。



 かつて隣には街があった。ちょっとした精密工業都市で戦時中は軍事用品を多く生産していたとされる。不幸にもそれが仇となったわけだが。
 新型爆弾、現在で言うところのN2爆雷、が撃ち込まれ街は一瞬で蒸発。その跡地に南の諏訪湖から水が流れ込んで、新たに湖となった。さして珍しいことではない。日本全国似たような場所はあるし、旧都心なんて丸々関東湾に沈んでいる。
 第二諏訪湖。六十年前に出来た忌まわしき死海。近づきたい人間なんてそういない。とすれば自然と人外の溜まり場となる。魔力の源泉となる。
 普段は爆死者の亡霊が出ると評判である。当然現地民の魔理沙が知らぬはずもない。だが日常的に幽霊の湧いて出てくるような場所は逆に此度の異変とは関連性が薄いのではないか、失踪者は山側の方が多い、と調査を後回しにしていたら――
 今まさに後悔することとなった。

「とんでもないことになってるな……」

 湖の上を飛びながら、魔理沙は驚きの声を漏らす。いや、もはや湖と言っていいのか。
 水がない。第二諏訪湖は枯渇して、六十年前の廃墟と化した街を露出させていた。

《今、一瞬小屋が見えなかったか? おかしい、何もないはずなのに……》

 そんなレベルではない。魔理沙の視界は一面瓦礫で埋め尽くされている。これが住民が消える異変と関係あるかどうかは魔理沙にはわからなかったが、これも一つの異変であることは間違いなかった。それに――辺りが尋常じゃなく魔法臭い。
 妖気に当てられて思わず咽る。脳裏には濃縮還元、という単語が浮かんだ。いやいや還元していないだろ、と魔理沙は自身にツッコむ。
 ふと、昼間の夢、正確には夢ではなく実際に体験したはずの記憶、を思い出す。あのオレンジとは比較にもならないほど臭いは強い。どうやら活きのいい相手は隠す気もないらしい。
 地上から、黒い煙が闇に紛れて立ち上る。それは魔理沙のすぐ横を通過すると、向きを変えて正面から襲い掛かる。

《うわっ……蝙蝠の群れか、吃驚したぜ》
「気持ち悪い奴!」

 そいつらのシルエットは蝙蝠に近いが、実際には眼球だけの体に黒い羽根の付いた、もっとおぞましい何かだった。それが何十何百と集まり一つの群体、軍隊として特攻してくる。
 魔理沙は急上昇して第一波をかわす。だが再度向きを変え、すぐに第二波が来る。今度は広がっての絨毯爆撃。

「しつこい! 鬱陶しい!」

 蝙蝠もどきの弾幕を潜り抜け、ひたすら上昇していく魔理沙。何とか逃げ切ろうとするが、そのスピードに魔物達も付いていく。
 追尾型の使い魔。その正体を魔理沙は見抜いていた。束になってもそこまでの妖気は感じられない。周囲の異様な気配を醸し出している相手は何処かに潜んでこちらの出方を窺っている――そう考えるのが自然だと。
 不幸中の幸いか、月は出ていない。古来より月光は魔力を増幅させる効果があり、魔法使いが強力な魔法を使う助けにもなるが、当然魑魅魍魎も力を増す。雑魚も成魚となる。そうなれば厄介なことこの上ない。
 そう、月だ。自分だけ月を利用して使い魔を一網打尽する。策を思いつくと魔理沙はひたすら一直線に上昇した。早く、一刻も早く、奴らより早く。魔物達も必死に食らいつこうとするが、少しずつ距離を空けられていく。
 雲海を抜けて、ようやく魔理沙は月を拝む。光を浴びて漲る力。そのありったけを眼下の雲にぶつける。すると雲粒は急激成長し、雹となって後を追う使い魔達に降り注ぐ。
 彼らの弱点は剥き出しの目だ。氷の飛礫はいとも容易くそれを打ち砕いた。

《お、もうこんな時間か。はいはい乙あり》

 血の雨が止み、役目を終えた雲が消える。ぽっかり空いた穴から降下する魔理沙は、地上の様子が一変していることに驚いた。なんと枯渇していたはずの湖が満ちているではないか。
 魔理沙が使った魔法の影響か、否、たかがちょっと雹が降ったくらいでこうなるはずもない。さっきまでの光景が幻のように思えた。
 しかもただ水が張ったにしてはおかしい。月明かりが差し込むようになったおかげでよく見えるのだが、色が赤い。それはまるで血の色地獄。振り返って見れば月まで赤い。いや赤い月光を反射してそう見えるだけか。

「いえ、血よ。血の湖よ」

 魔理沙の頭の中に直接声が響く。甘く蕩けそうな響き。無理やり気持ち良くさせようとする気持ち悪さが感じられた。その不快感を追い出そうとブンブン首を振る。
 クスクス。幻聴? いや微笑は目の前にある。濃縮される赤い霧。濃縮される妖気。徐々にハッキリと象っていく、歪な少女の形を。

《まぁそう簡単に魔法だの妖怪だの変なのは見つからないんだが、粘り強く続けていくつもりだぜ。それでは来週はリスナーのリクエストにあった諏訪を調査する。じゃあな》

 教授、リクエストした者です。一週遅かったです。お先にすみません。魔理沙は心の内に謝った。

「ビンゴ、だぜ」



【次回予告】

ついに姿を現した吸血鬼が魔理沙に牙を剥く。
赤い月、赤い湖、赤い血。少女達は弾幕に興じる。その先に待つ過酷な運命を、何一つ知らぬまま。
次回 「新約幻想郷:序 ~ Selene's light 3」 この次も、サービスサービス!

(次回更新予定は7/28です)

新約幻想郷:序 ~ Selene's light 1

2013.07.14(Sun) | EDIT

(こちらは東方二次創作小説『新約幻想郷』の第一話です。第十回博麗神社例大祭で配布した『新約幻想郷 体験版』より一部抜粋して加筆しております)



 うっすら霞掛かった山々の合間から一筋の線が縦に延びている。藍と翠の境界に垂直な銀。生憎天気が良いのでよく見える。
 御柱【オンバシラ】。
 月まで届きそうな光の柱。
 地を這う者共が天へと昇るべく築かれる現代のバベルの塔。所謂軌道エレベーターというやつだ。
 人類が三度目の大戦争を乗り越え辿り着いた二十二世紀、俗に科学世紀、ではこうした棒切れがあちらこちらに突き立てられている。日本とて諸外国に後れを取られるわけにはいくまいと。ちなみに御柱、という愛称はこの地に古くから伝わる祭事に由来する。
 かつて高天原より到来した征服神は御柱を建て己が威光を示し、民はひれ伏した。その神話が今まさに再現されようとしていた。大戦で破壊された関東の復興、を標榜に京都政府が建てたそれを麓の人々は仰ぎ見る。まだ見ぬ宇宙、神の領域への憧憬をこめて。
 ところがそれを憎々しげに見つめる瞳もあった。山頂から覗く、紅よりも赤く燃える瞳。正確には塔の根元に広がっているであろう関東唯一のメトロポリス、第二新東京市を映して。目の持ち主にとっては生まれ故郷であり、捨てた故郷でもあった。
 怒れる瞳の少女は同色の髪をなびかせて、ただ前だけを見据えている。彼女にとって憎いのは愚者の驕りを暗黒の歴史を積もらせた塔や街に限らない。目に映る何もかもが憎くて憎くて堪らない。
 歪んだ世界、無力な自分。口元は歪み、拳に力が入る。
 この世で最も大切な人を失ってから三年。紅蓮の少女は今でも全身を真っ黒で包んでいる。

「魅魔様のいない世界なんか」

 滅んでしまえと呪詛を吐いて。

「魅魔様のいない世界じゃ」

 生きられないと悲嘆に暮れて。
 けれどパンドラの箱にも希望が残っていたように、彼女の鼻は懐かしき華の匂いを幽かに嗅ぎ取っていた。
 それに気付いたのは三日前。匂いの元を探って走り回ったのは言うまでもなく。山に登ったのもそれが仄かに残っていたからだ。しかし目的は未だ果たされていない。そう簡単にいくとも思っていない。
 とは言え諦めの二文字も無い。

「絶対に見つけるから、必ず」

 宣誓の言葉を胸に、彼女はバイクのエンジンを噴かす。やはり燃えるような深紅のカラーリングで、「霧ヶ峰」と書かれた黄色いステッカーがワンポイントを添えている。もう十数年前の骨董品だがよく整備されており、発進に支障はない。道らしい道も無いが、それでもなお支障はない。
 走り出した途端、車体が浮いた。
 科学世紀と呼ばれて久しい今日この頃でも、空飛ぶバイクなどは実用化に至ってはいない。幻想の産物でしかない。そんな非常識なファンタジーを具現化できるものがいるとすれば、魔法使いとでも呼ぶ他ないだろう。
 事実、彼女、魔理沙も魔法少女であった。
 槍に突き刺される月を後にし、魔動二輪車は日が昇る方へと降下する。魔理沙の髪は風を受けてもがき、光を受けて真っ赤に焼け爛れた。



 この村は包囲されている。
 北と東には見渡す限りの山が並び、南と西は湖に沈んでいる。周囲から隔絶された結果、一世紀前の文化レベルが保たれた。過疎寒村。人も老人と、変人と、廃人しかいない。
 お蔭様で違法改造した盗品を法定速度超えて飛ばしている、健康優良不良少女を咎めるどころか目撃する者さえいない。早朝の時間帯、人通りが少ないのは勿論だ。それでも平時は気難しい爺さんなんかに見つかって説教を食らうものだが、ここ最近はそれすらもなかった。
 閉ざされたはずの村から人が消えていく。それが理由だった。
 老人ばかりの村だ、皆鬼籍に入るのはそう遠くない未来の話。だがそれにしてはいささか性急すぎた。
 最初に消えたのは山入りに住む老夫婦とその息子だった。次の日には街中の方で工務店を営む四人家族が。その次の日には二世帯七人が。さらにその翌日に倍の人数の失踪者が出た。そして今も鼠算式に増え続けている。
 この異変に気付いた土着民達は口を揃えて言う、「神様の祟り」と。一方で神職の者はこう語る、「神隠し」と。そして魔理沙はこう感じていた、「あの時と同じ」と。
 だから彼女は探している。自分の家族を、連れ去った者を、手段を、場所を。

「魅魔様の魔力、日に日に濃くなっている。近い……きっともうすぐ」

 人が一人消える度に、人ならざる者の気配が忍び寄る。神か悪魔か妖怪か、あるいは魔女の。
 そう、包囲されてこの村は幻想になった。



「おはよう靈夢」
「おやすみ魔理沙」

 村の外れにある古びた神社。その境内に降り立った黒衣の魔法少女は、のろのろと箒を掃く紅白袴の巫女に出迎えられた。二人は同時に欠伸をする。

「布団敷いてあるから」
「有難うな」
「ご飯、食べる?」
「いい。すぐ寝る」
「いい天気よ?」
「夏だからな」
「あんたの頭は春ね」
「お互い様だぜ」

 他愛のないやりとりをしながら、魔理沙はバイクを停めて手水をすませる。それを横目でニヤニヤ眺めている靈夢がいた。

「お賽銭、今日は期待できる?」
「何言ってんだぁ、参拝しに来たんじゃないぜ。家に帰ってきたから手を洗ってただけだ」
「なーんだ」

 がっくりと肩を落とす靈夢。いつも同じ反応してよく飽きないなと魔理沙はいつも通り呆れてみせた。その度暢気な巫女さんはこう返す。

「わかってるけど、今日こそは、何か違うことが起きるかもしれないじゃない」
「それもそうだな」
「あら? そうね!」

 平時では「そうかもな」と答える魔理沙だが、ここ最近の異変を思えば肯定したくもなった。

「靈夢は靈夢のままだけどな」
「そう?」
「変わらず面白い靈夢でいてくれ!」
「何よ、からかってる?」
「からかってるよ」

 ケラケラ笑う赤毛の少女に向かって顔を真っ赤にした少女が突進する。だがあまりに動きがどん臭いので簡単にかわされてしまう。せっかくの綺麗なブロンドの髪も土に塗れて台無しである。
 してますます立腹する靈夢だが、そんな態度が余計魔理沙を喜ばすことには気づかない。そういう性質なのだ。

「そうそう、今回はどこまで行ってたの?」

 このまま手玉に取られたままでは癪なので靈夢は話題を切り替えることにした。

「山」
「山なんていっぱいあるじゃない。新東京の方?」

 あえて無視する魔理沙。

「今晩は第二諏訪湖の方へ行こうと思う」
「今晩はやめた方が良いよ」
「何でよ」

 露骨なくらい声色に不機嫌さが表れていた。

「何でやめなきゃいけないの? 靈夢は会いたくないの? 魅魔様に」
「私は……別にそんな……」

 捲し立てられて靈夢はたじろぐ。一歩下がる相手を逃さんと魔理沙は震える肩を掴んだ。

「別にいいのか? よくもそんなことが言えたもんだな! 仕方ないか靈夢は魅魔様と一緒だったの少しだもんな!」
「違う……そういうことじゃ……」

 涙を浮かべる靈夢を見て、魔理沙はハッと我に返る。そして即座に言い過ぎたと謝った。すると靈夢も平常を取り戻して言う。

「ただ、今晩理香子が帰ってくるから」
「理香姉が?」
「言ってたじゃない。週末外泊取れたって。なんか魔理沙に大事な用があるらしいよ?」
「私に? 何だろ」

 頭を掻きながら考え込む魔理沙。しばらくして眉を八の字に曲げて、その場にいない相手に頼むように言った。

「たいした用じゃないなら、パス、できません?」
「駄目だと思う。理香子だし」
「だよね。理香姉だし」

 深い溜息と共にわざとらしく肩を竦める魔理沙を、今度は靈夢が笑った。
 そんな時だ。鳥居の向こうに人影が現れた。滅多にない参拝客に気付いた神社の主は、魔理沙に箒を押し付けるとすたすた駆けていく。

「おはようございます。博麗さん」

 すらっと背の高い三十代前半くらいの女性が靈夢に挨拶を投げかける。その声と風貌は魔理沙にも覚えがあった。この村の長である。

「おはよう阿都。要件は何かしら」

 村長に向かって敬語を使わないのは一見変なようだが、この場合では合っている。実はこの神社、ただの神社ではなく、その巫女の権威は村長などよりもずっと上なのだ。もっとも靈夢は誰に対しても呼び捨てにするのだが。
 おそらく村長は仕事でここに来たのだろう。そして靈夢もこれから仕事を受けるのだろう、博麗神社の巫女として。それを察した魔理沙はそそくさとその場を離れ、本殿の裏にある住居に入ろうとする。
 直前、靈夢は魔理沙に何やら声を掛けようとしたが、この距離では届くはずもない。追い打ちをかけるように扉は二人を隔ててしまった。
 ガチャ。自動で施錠される。中に入ってすぐ、魔理沙の視界に一枚の写真が飛び込んだ。味気ない玄関に飾ってあるだけに否が応でも目立つ。
 写真は、所謂家族写真だ。映っているのは四人。
 母親、魅魔。
 長女、理香子。
 次女、魔理沙。
 三女、靈夢。
 家族と言えど血は繋がっていない。しいて靈夢が魅魔の遠縁にあたるくらいだ。髪の色もバラバラ。年も左程離れていない。けれども家族であることには変わらないのだ。少なくとも魔理沙にとっては。
 今でも鮮明に思い出すことができる、魔理沙はここに来た時のことを。神社の巫女は見ず知らずの放浪娘を泊めた上、事情を何も訊こうとしなかった。「魔理沙」なんて取って付けたような名前を名乗ったにも関わらず。
 ただ彼女、魅魔はこれだけはハッキリと言った。

「私はここにいるから。あんたもここにいていいんだよ」

 その瞬間魔理沙は泣き崩れた。自分が存在することを許されたのは初めてだったから、まさしく赤子のようにわんわん泣いた。あの日魔理沙は「魔理沙」として生まれたのである。だから彼女にとっての母親は、魅魔を置いて他にいない。
 母親としてはあまりにいい加減で、しょっちゅう悪戯するわ嘘吐くわ大人気ないわ偉そうに自分を様付けで呼ばせるわ、人間としても難のある人物。けれどもそんな魅魔が魔理沙は大好きで、大事な家族だった。
 それは他の二人にとっても同じ。

「よくもそんなことが言える? 何様だ。よくもあんなことが言えたものだ」

 魔理沙は自ら頬をはたく。先程靈夢に詰め寄った様子を頭に浮かべ、悔いた。
 実際靈夢が博麗神社の後継ぎとして引き取られたのは魅魔が失踪するほんの二か月前。対して魔理沙は約二年の時を共に過ごしている。だが時間など問題ではない、それを自分が一番わかっているはずで、わかっていなきゃいけないはずだったのだ。
 ところで靈夢に対する第一印象は「人形」だった。無言。無表情。無感情。それがどうだ。今ではあれ程感情豊かな人間などそうそういないぐらいだ。魔理沙は知っている。彼女が魅魔達と触れ合う中で少しずつ喜怒哀楽を手に入れていったことを。
 そんな靈夢が魅魔を失って悲しく思わないはずがない。事実あの日からしばらく泣いてばかりいた。そんな靈夢を見ているからこそ、何とかしようとしているんじゃないか。それなのに――

「余裕がないんだな、この馬鹿は」

 焦っている。そんな自分に魔理沙は一層苛立ちを感じる。三年間何も手掛かりを得られなかったところに異変だ。この機を逃せばと思うと居ても立っても居られない。
 けれど焦りは禁物。目的を果たすためには。母は娘達にそう教えていた。
 それでも失われた日々への憧憬は、失われた母への恋慕は、募るばかり――限界が近い。
 また四人で暮らす。それだけが今の彼女の望みであった。それ以外では幸福を享受できない。

「おやすみ」

 魔理沙は写真から視線を外し、一人寝室に向かった。たどたどしい足取りで。



 なんとなく胸周りに圧迫感がある。
 締め付ける、というよりは絡み付く、という感覚だ。気色悪い。自然と呼吸が荒くなる。触覚の次に襲われるのは嗅覚だ。ピリピリとした刺激的な臭いが鼻を犯す。
 それを魔理沙は、魔法臭いと認識していた。魔法と言っても自分が使う時には感じない異臭。人外の薫り。妖怪変化の自己主張。
 メトロポリスの科学信仰に染まった人間達は気付きもしないだろう。この村の人間達も直接感じ取れる者は少ないだろうが、人が消える度に得体のしれない恐怖を抱いている。そして魔理沙のような少女にはありのままにその姿を受け止められた。
 だからこそ気持ち悪く感じる。幻想が綺麗な物ばかりとは限らない。グロテスクな、剥き出しの、異常性が憑りつかんとする。それをギリギリで避けながら、魅魔の残り香を辿っていく。
 しかし空はまだ暗く、妖怪の天下だ。いつの間にか誘いこまれていた。だがかえって魔理沙にとっては好都合。生きた妖怪を捕まえて尋問してやると意気込んで、自ら飛び込んでいく。
 急に風の向きが変わった。魔理沙にはそれが妖力の質が変わった、と感じられた。臭いで言えば、魔法臭さとは別の臭いが混じり始めた。その異臭はどんどん比率を増していく。
 死臭。腐臭。むせ返るような嫌悪感が体を通り抜ける。発生源はもう近い。引き返したい、という気持ちが支配的になっていくが、足は反して前に進む。そしてついに視覚でも捉えらるところまで来た。
 天井は濃紺、周囲は深緑。だが眼前は鮮紅で染め上げられている。
 まるでオレンジの皮を剥くように。腹部を切り開かれた異形の少女が血の華を咲かせていた。
 魔理沙は思わず両手で口を押さえ胃の逆流をせき止めようとするが間に合わない。あまりに無残、と形容する他ない姿だった。胴体はそんな有様で両手足は細切れ。かろうじて原形を留めて転がっている頭部と目が合う。

「見るな……そんな目で私を、私を見るんじゃない……」

 山が震える。木の枝が軋む音はまるで御経を唱えているようだった。
 十代の少女には刺激的すぎる光景だ、気が動転しても仕方ない。だが魔理沙の場合不思議と落ち着きを取り戻すのは早かった。この年でもそれなりに場数を踏んでいるからかもしれない。
 おかげで辺りに散乱しているお札の存在にはすぐ気付けた。神社で見かける馴染みの物に相違ない。それこそこの少女だったらしきモノが人ではなく妖怪であることの証明であり、故にこうされたことを物語っていた。

「靈夢がやった、のか?」

 妖怪退治は博麗の巫女の仕事であり、代々受け継ぐ呪いだった。魔理沙も一度だけ先代巫女、魅魔が妖怪を滅するところを見ている。その時のことを思い出したから、一つ安心を得た。

「殺ってない……まだ生きてる」

 妖怪は死体を残さない。なぜなら彼らは人が生んだ空想上の化物なのであり、彼らにとっての「死」とは存在を否定されて消滅することだけを指すからだ。ならば目の前の妖怪少女はこれほどズタズタに体を裂かれていたとしてもまだ死んではいない――ことになる。

「私は見なかったからね、靈夢」

 魔理沙はそいつを見逃してやることにした。もしかするとこの妖怪が村人失踪事件の犯人かもしれないし、魅魔を奪った張本人の可能性だってある。妖怪というだけで人間にとっては危険な存在だ。
 それでも見逃したのは情に駆られたわけではない。生きてて貰わないと情報を引き出せない。それだけだと魔理沙は自分に言い聞かせた。
 目線を逸らした先に妙な物があった。魔理沙はふと気になってそれを拾い上げてみる。長さが三十から四十センチくらいの棒状の物で、ちょっとした装飾が施されている。彼女の知る限りでは「バトン」が一番それらしかった。
 絡み付くような感触。魔法臭い。明らかにただの棒切れではない。

「お前の……か?」

 返事があるはずもない。魔理沙はしばらく凝視した後、ぼそりと呟いた。

「ちょっと借りてくぜ」

 魔理沙はすっかりそれを気に入ってしまった。持ち帰りたくなった。彼女の悪癖である。
 追い剥ぎではない。借りるだけ。第一持ち主が違うかもしれないじゃないか。そう自分に言い訳して自己を防衛する。ほとんど無意識のうちに。自覚を持って反道徳行為を繰り返せるほど彼女の精神は強くはない。ただ嘘を吐くのに躊躇いはないのであって。
 もうこの場に用はないと魔理沙は振り返って駆け出す。
 その足は速い。あんな凄惨な現場から早々に立ち去りたい、ごく自然なことだろう。だが傍からは盗人の逃走にも見えた。
 呪詛が絡み付いて魔理沙の右腕を犯す。どれだけ逃れようとしても逃れる術はない。踏み込んだのは彼女が先なのであるから。できることがあるとすれば、それは嘘で誤魔化すくらいだろう。
 例えば、これは夢である、とか。

「なんだ、夢、か……」

 掛布団を裏返して、魔理沙は上体を起こした。窓から赤みを帯びた光が差し込む。時計は午後の五時を指し示していた。
 そうだ。朝方帰ってきて靈夢と話した後すぐ眠ったんだった。魔理沙は頭をボリボリと掻く。なんだ、と胸を撫で下ろしたその時、見覚えのある物が飛び込んできた。
 残骸の横に転がっていた、あの「バトン」だ。

「夢じゃ、ない?」

 魔理沙は驚愕する。ならいつのことだ? さっきまで寝ていたはずだ。そもそも夜の出来事だった。ならば神社に帰ってくる前だったか? だとすれば一つ辻褄が合わない。靈夢はその時間、神社で寝ていたはずだ。

「いや、まさかな……」

 靈夢が夜中に起きていて、こっそり妖怪退治を行っていた――これで説明はつく。本人に聞けば確証も得られるだろう。
 しかしなんとなく魔理沙には躊躇われた。あの靈夢に、無垢な靈夢に向かって「お前があの妖怪を切り刻んだのか」などと問うのは。
 ひとまず布団を片付けて魔理沙は部屋を出る。家中をさっと回ってみるが靈夢の姿はない。そこで神社の本殿の方にも行ってみるがやはり留守のようであった。
 靈夢と村長が会話している様子が思い出される。魔理沙は確証はないが確信はしていた。靈夢はすでに動いている。続いて血塗られたオレンジが思い出される。今もきっとどこかであんなことが。そして何故か、初めて出会った時の靈夢の、人形のような表情が思い出された。
 嫌な予感がする。魔理沙の胸に一抹の不安が纏わり付く。その底知れぬ気持ち悪さは、彼女から落ち着きを失わせるに十分値した。
 そのまま鳥居へ向かって駆け出す魔理沙。とにかく魅魔様を見つけないと。そうすればきっと靈夢だって……と勝手に結び付けて。だがそれは阻まれた。
 参道を降りようとした時、すれ違い様に頭上を鉄の塊が通過して、風に呷られて尻餅をついてしまう。

「うわっ!」

 驚いて後方を見やると、軽VTOL機が境内に着陸していた。この時代では旧世紀のヘリと同じ扱いであり、個人所有も許されている。そしてこの家でそんな物を乗りこなせるのは一人しかいない。

「げげ、理香姉!」
「何だその反応は。「お帰りなさいお姉様」でしょう? 可愛げのない奴め」
「お帰りなさいお姉様」
「ただいま魔理沙」

 ハッチが開いて中から長身の女性がふわっと飛び降りる。理香子はヘルメットを外すと、長い髪をはためかせた。



【次回予告】

進学を勧める姉、理香子。しかし魔理沙はそれを拒否する。
一人夜空を飛ぶ魔女を待ち受けていたのは、枯渇した湖、そして……
次回 「新約幻想郷:序 ~ Selene's light 2」 この次も、サービスサービス!

(次回更新予定は7/21です)

プロフィール

Author:宇佐城
同人サークル「月宇佐城」代表
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